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いったりきたり日記

最近移動も多く、ものわすれもひどいのであったこと感じたことを忘れないようになるべくまめに書きたいと思いますが、そううまくは続かないと思います。

まち大講義メモ:都市地域計画論1 都市計画制度の形成過程

まちづくり大学


f:id:kagayataku:20160927204242j:image

*スライドは19世紀グラスゴーの狭小住宅。

 

記念すべき?第1回目の講義は大方潤一郎先生。

1954年川崎市に生まれ(ただし出生地は母の実家のある会津若松市)、
東京都大田区で育つ。東京大学都市工学科の学部・大学院(博士課程)を卒業後、
同 助手、横浜国大助手・講師・助教授(工学部建築学科)を経て
1996年・東京大学都市工学科助教授、99年から同教授。
とのこと。
大御所、ということですよね。
2013年4月から高齢社会総合研究機構・機構長を兼務。
昨年までこちらのコース長だったとのこと。

優しそうなおじさまやなあ。
みんな忙しいなか来てるから、サンドイッチくらいだったら
食べながら聴いてもらってもいいよ、とのこと。
社会人バンザイ。

ご専門はど真ん中の都市計画。
都市計画で都知事

今週は、日本以外の各国での都市計画という概念が
どのように形成されたか、ということ。
来週は日本。
その次の週からは、じゃあ、具体的な中身がどうあるべきか、
というお話しになるとのこと。

じゃあ、本題。

イギリスなんかじゃ
都市計画は都市のことだけじゃなくて、
都市と農村を一体に扱うのが主流。
日本の場合は都市と農村まだまだばらばらにやっているよね。

19世紀から全地球上の都市化の進展。
都市と農村の区別のあいまい化。

人類が生存する空間=Habitatを統合的に管理する必要が
生じてきた。
つまり、
Spatial Planning/Territorial Planning/Raum Ordnung

一方で日本は都市は国交省が都市計画をやり、
農村は農水省がやる、という縦割りな状況になっている。

じゃあ、実際に都市計画はどうなっているのか。
自然発生的に集落ができ、整理するために
有力者が街区割りなどをする、みたいにして
都市計画がはじまる。

本来ならば都市計画の基本は「町割り」。
日本の場合はあぜ道沿いになんとなくできている場合が多い。
町割りの意識はうすい。

ここまでが都市計画の発生だが、
19世紀になると、鉄道、下水、港などネットワークの
インフラをどうするか、という要素も入ってくる。

町並みは大火によって進化してのきた。
例えば17世紀のロンドン大火。
この後延焼を防ぐために瓦マストになったりした。

日本でも大火がたびたびあったが、
瓦の導入がうまくいかなかったりした。

アメリカは自由の国なので、かなりおそくまで
町並みの規制は入らなかった。

19世紀のヨーロッパでは衛生的な町をつくるための
都市計画も進んだ。
工場地域の限定など、
相隣関係の調整、土地の用途規制も行われるようになった。

20世紀になってくると、ネガティブなことが起こらないように、
というだけの視点ではなく、魅力ある街並みの創出なども
意識されるようになった。

都市計画の型は大きく3つ!
ドイツ型、イギリス型、そして一般型。
(いっぱんがた??えっ?)

1つ1つ紹介するよー。

1つ目。
ドイツ型。

例えば1200年くらいのアムステルダム
芯のような場所ができる。
だんだん外に拡がる。建物の耐用年数も長いので
そうそうに再開発したりしない。

(中略)

バウってのはドイツ語で建築、ってことですよー。
建築線(道路線)計画に沿って町をつくっていく。
この外には建物をつくっちゃいけないよー、ということ。
*ドイツではこのB-Plan(ベープラン)が今でも続いている。

都市計画におけるナポレオン。
ナポレオンの征服地では、土地が自治体所有から
市民所有になった。
また、農村では農地解放が行われた。
農民に耕している土地が渡された。細分化された絶対的土地所有にうつった。
そうなると、旧来のドイツ型の都市計画は難しくなる。
じゃあ、どうするか。
そこを近代的に法整備していったのが近代のドイツの都市計画。
B―Plan制度の近代的再編。

もう1つの都市計画の課題。
19世紀の伝染病の流行。当時はどうして感染するのかもわかっていなかった。
空気の流れが悪いところで感染する、と言われていた。
切り札は下水だと考えられていた。

屋根裏に住んでいる貧乏人は、
毎朝、糞尿のツボの中身を外に投げ捨てるのが習慣だったそうです。
ちなみに、マナーとされていた合言葉は、
「今日は雨が降りそうだなー」だったとのこと。

これに対して都市計画としては幹線道路の整備で対応した。
幹線道路に下水道を通した。
自治体の権限を強めて、「計画なきところに開発なし」の原則確立。
最低限の基盤形成(道路など)は開発者負担。地主や居住者の負担。
強制収容権も。

日本でも4メートル道路などは開発者負担は常識。
当時のドイツではよりレベルが高い。13メートル道路まで。
2車線道路。

ただ、だんだん都市が大きくなるに連れて
城壁を超えて農地にまで都市が拡大。リボン状の農地を整理するために
任意組合方式によって整備するようになった。

ただ、都市が郊外に拡がっても、建築は密集型のもので変わらなかった。
本当は密集していないので他のやりかたもあるはずだが、
不公平になってしまうので。

ケルンの都市計画家スチューベンの取り組み。
大きな敷地に緑と一戸建て、みたいなことができないか。
私法的契約による「建築協定」を行った。
まだゾーニングまではいかない。
この仕組みを思い切って全面的に導入したのが1891年のフランクフルト。
4種類のゾーニングを行った。

実際のゾーニング実務は日本でいうとUR的な事業者が行っている。

現在でもB-Planができているのはドイツ国土の2割くらい。

(休憩)

では、次はイギリス型です。
世界で一番早く産業革命が起こった国。
なにもないところに炭坑ができて、そこで町ができたりした。
これがIndustrial City。
中世的な広場や教会やなどがありきではなくて
ごちゃごちゃっとしたところから始まる。
その後、面白くは機能的(衛生的)な街ができてきて、
その後、緑を交えてうるおいのある街もつくられる。
こういった三段階。

イギリスの中世もみてみます。
18-19世紀=エンクロージャー(囲い込み)運動。
土地の集約化。農業事業者への貸付。法人型の集団農業。
毛織物産業などの発展。農民の数の激減。都市での労働者へ。
つまりイギリスでは大土地所有制を背景。
民間団地開発を行いやすかった。
90年くらいの定期借地権で20年くらいで回収する
安普請の団地をつくった。
ドイツのように町割りの困難はなかった。
ただし、工業化による都市問題が起こった。
Back to Back型の2フロア狭小住宅。

例えばグラスゴー
1つのベッドに5人寝る。
父親は外で飲む。子供は不良に。近親相姦も。
改善が必要。
1つ目。壊す(スラムクリアランス)
2つ目。行政がつくる。
3つ目。民間がつくるのに規制を入れる。

最終的には20世紀初頭。
ハリンゲイのような衛生的な画一的な住宅街。

ただ、つまらないよね。。
ということで、ハワードのGarden City構想。
郊外で職住近接の緑に囲まれた街をつくる。

イギリスはちょっと変わったことをやりたいときには
国会でその地域限定の特別法をつくって通しちゃう。
例えば、ハムステッド開発特別法。
囲み型でトンネルがあるような街ができた。

1947年には開発権を国有化した。
ぜんぶを暫定許可制にした、ともいえる。

Development Planも決して詳細なものではない。
ただ、戦後のイギリスの都市開発というのは
団地開発などなど部分的な都市計画にすぎなかったので
それでもオッケイだった。
ちゃんとした開発は公共が行う。

ただ、それがなかなか大変。
国が都市計画をやる、ということだったので
各自治体の計画を最後は国がやる。
住民は異議申し立てができる。その処理が膨大。

その後、、
1968年都市計画法
国から地方への権限移譲。
ただし、地方自治体でCounty Districtのレイヤーを分けてしまったので
機動的な都市計画作成が困難になった。

サッチャー政権の下でレイヤーを統合し、
すべえDistrict(市町村)でやることに。
広域調整は市町村の協議会によるものになった。

ちなみにフランスなんかは基礎自治体がコミューンといって
3000人と小さいが先決権を持っている。
広域調整をどうするか、というのが問題になっている。

さて、このあとはアメリカの話をするけど、今日は時間切れ。